彦根は三十五万石の城下町として栄え、彫金や蒔絵、日本刺繍などをはじめ、さまざまな匠が活躍する工芸の町でもありました。当時の藩主である井伊家代々の甲冑製造を手がける職人が数多くいたと言われています。時代が戦国から太平へと移り変わると、武具製造に携わっていた匠の技は、仏壇製造へと移っていきました。彦根仏壇は、「工部七職」と呼ばれる工芸技術の集積として形作られ、1975年には国から伝統的工芸品として指定を受け、その高度な技と品質が認められております。
甲冑は戦場を駆けまわる機能、そして自己と家臣を鼓舞し武勇を誇示する優美さを備える日本の工芸の頂のひとつです。威厳と優美さを兼ね備えたその佇まいは、時代を超えて人々の心を熱く震わせます。近年では、米国で甲冑の大規模な展覧会が開催されるなど海外における再評価も進み、コレクションアイテムとしての注目も高まっています。
「伝匠彦根甲冑」は、彦根で現代まで受け継がれてきた漆塗や金箔押など匠の技と伝統を注ぎ込まれた、正に由緒正しき甲冑です。甲冑本来の輝きを備えて現代に蘇った名品と言えます。
戦場でひときわ目を引く赤い甲冑の軍団「赤備え」は、特に武勇に秀でた武将が率いる精鋭部隊の象徴であったと言われています。その発祥は甲斐武田軍団と言われていますが、徳川家において常に先陣を務めた井伊家もまた赤い甲冑で統一していました。
第二代藩主の井伊直孝の所用と伝えられる赤漆塗の甲冑は、後の井伊家代々の甲冑の基準となった名品です。これを現代の彦根に受け継がれた伝統技術で、可能な限り忠実に再現しました。
鉄板と鎖部は漆塗、兜についた二本の角は本金箔押。無用な装飾を排除し実戦に即したその佇まいは、甲冑本来の優美さをたたえています。また、総重量は20kg程度に抑えておりますので、実際の着用も可能です。
※掲載している写真は試作品です。実際の甲冑はより忠実に本来の形を再現しています。品質向上のため、鉄板や組紐など一部の部品は彦根以外で制作したものを使用しています。
伝匠彦根甲冑は井伊家と彦根城博物館の協力を得て、彦根商工会議所と彦根仏壇事業協同組合が共同で開発しました。事業の継続と製造・販売は彦根仏壇事業協同組合が担っています。
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